何か勘違いしていること




インターネットってものが普及して、『世の中のバランスが崩れはじめている。』と断言できるようになったのは、今に始まった事ではない。

ネットサーフィンというものは楽しく、場合によっては、その世界から抜け出せなくなってしまう人達もいるし、それは日本だけではなく、世界中に溢れかえっている。

例えば、インターネットとは、何か?と一言で表せ、と言われたら、みんなは何て答えるのだろうか?

この質問には答えなんかないと思う。ただ、定義として表せとか、キレイ事を言えと言われたら、様々な答えが出てくると思うけど、実際みんなが思っている事は【タダで情報が手に入るツール】としか考えていない人は多いと思う。まぁ、プロバイダー料金がどうとか、電気代がどうこうとか言ったりして、あげあしを取る事はいくらでも出来るけど、今の段階でそこはポイントではない事は理解して欲しい。

こんな事をわたしが言える義理はないのだが、日本人のみんななら、【タダほど怖いものはない】という言葉も聴いた事があると思う。これは、どういう意味だろう?辿っていくと、ようするに、『おいしい話(タダ話)には裏がある。』という事ではないのだろうか?

なんで、こんな事を急に言い出したかというと、日本にはインターネットの重大性を示すものが少し曖昧すぎるのではないかと感じる事があるからだ。

例えば、インターネットのデメリットはひとつを検索すると膨大な情報があふれ出てきて、何がなんだか分からなくなってしまう事。また、本当に必要な情報以外が出てきてしまったり、まったく関係ない事やその情報がある特定の条件を満たした人にしか当てはまらない事もある。

ここまでは、わかっている人は多いかもしれないけど、この次に働きかけるものとしては、人間というものは、自分自身が不利になる事や良くないものは、無意識のうちに排除して、自分にとって都合の良い情報だけを吸い込むという事をしてしまう生き物であるというあるという事だ。

いくら調べものをしても出て来ない。そこで、誰かのクチコミを発見する事になる。そこには具体的な年代や条件が記されていないが、なにやら良さそうな事が書いてあるので、それを信用する事になる。具体例を出すとバックパッカーズホテルなんて、予約しなくたって、部屋が空きまくってるから行ってからでも大丈夫だよ!なんてのもひとつの簡単な例だ。

わたしは、この意見に反対する訳ではないが、では、その場合、【もし万が一にも空いていなかった場合はどうするのか?】というプランBを考えておく必要性があると思う。

もし、それが自分が住み慣れた国ではなく外国である場合。日本の常識を海外に当てはめるのは、非常に危険であると思う。



【タクシーなんて、手をあげればどこでも拾えるよ】なんて思っている日本人はどれくらいいるだろうか?それじゃぁ、それは広大な土地であるオーストラリアでもタクシーがびゅんびゅん走っているから、手をあげれば拾えるという事に直結するのだろうか?

よくよく、ゆっくり考えてみれば、分かる事だと思うのだが、そんな訳はないだろう。タクシーは公共の交通機関ではない。ビジネスとして考えた時、ガソリン代は食うし、人件費も食うし、車社会なので、タクシー使う人は少ないし、そもそも人口が少ないし。。とひとつづつまとめていったら、『電話をして呼ぶ』というのは、とても自然な事ではないだろうか?

となると、万が一、日本とは環境が違い、タクシーが捕まらなかったらと考えたら、プランBをして、タクシー会社に電話する=タクシー会社の電話番号を持っておくのが、念のための行動だと思う。

ちょっと話はずれてしまったが、そもそもインターネット情報を手に入れるという事は自分で物事考えて、正しい情報を手に入れるというのが、インターネットのテクニックであるとわたしは思う。

海外では、インターネットという授業があり、ネットサーフィンの仕方も教わったりする事がある。わたしも実際に選択しており、その当時は目からうろこが落ちる思いをした。

インターネット=無料 と思っている人が多いが故に、わざわざ、無料のネットの仕方を教わるのに、クラスを受けるなんて(お金を払うなんて)、馬鹿馬鹿しいと思ってしまうのかもしれないが、インターネットにはトリックがあり、検索の仕方ひとつを取ってもコツがある。

また、これが英語でのネットサーフィンになると、さらに膨大な情報量になるので、もっともっと注意して、ネットサーフィンをする必要がある。これが、いわゆる情報社会なのだとう思う。情報というのは、タダで入ってくるものだが、それをソート(仕分け)してまとめるのは、非常にやっかいな作業だ。ただ、それに対して価値をどれくらい見出せるかというのは、別の話である。

ネットは得意だからといって、英語の意味をちょっと勘違いして、進み、痛い目を見た人も多々いるだろう。そこまで、いけば、ネットの大事さが分かるのだが、その前にネットや情報ソートの重要さをどうやって、伝えたらいいのか、すごく疑問である。

英語社会。いわゆるWestern Cultureと呼ばれる西洋文化では、このインターネットに対しての、プライスがあり、価値がある。そして、授業もあるし、価値があるからこそ対価が発生している。

ネット初心者のAさんがひとつの調べ者をしたら、1時間かかったところ、ネット上級者のBさんが、調べたら、ものの5分で分かったりもする。そうなると、ここに大きな時間の差が出来、時は金なりの定義によると、対価が発生するのではないだろうか?

それなのだが、ネットはタダなんだから、誰が調べても一緒だよ。というのは少しずれてると思うし、どうせ、ネットで調べてくれてるんだから、単価はタダでしょ?ってのも違う。なぜなら、時間はかかっているので、それに対する対価は発生しているのだから。

それでも、まだこの話を聞くと『そんな事は当たり前だよ』と思う人もたくさんいると思うけど、本当にわかっているのであれば、お金を払ってでも調べ物を代行して欲しいと思うはずだけれども、最初にあげたように、ネットには、【本当の情報】や【間違った情報】というのが散乱している。

もちろん、納得がいかないのであれば、思う存分、気が済むまで、自分で調べて欲しい。しかし、どうしても人間というものは、【無意識に自分に都合の良い情報】を信じる傾向ある。

そうなった場合、最後に誰かにコレが本当かどうか正しいか正解を出してくれる人が欲しいだろう。

これは、赤ペン先生の○付けと一緒で、【自己採点】と【先生による採点】の違いというと分かりやすいだろうか?【先生による採点】であれば、そこに赤ペンでアドバイスや何が間違っているかを書いてくれている。しかし【自己採点 】はあくまで、自分の意見によるものだから、具体的な例は出て来ない。

結構、ややこしくなってしまってきたけど、【自習】はタダで出来るけど、【先生による採点】はタダではない。インターネットも同じ、関係が結びつくのではないだろうか?とちょっとダケ声を大にして、伝えたいと思った次第なのである。

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