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Showing posts with the label 海外の生活にて思ふ事

デジタルから離れるヨガ

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毎日毎日、色々なニュースが飛び交い、世界情勢は一体どうなってるんだ?原発の件やビン・ラディンの死と、アルカイダからの報復声明など。危険と隣合わせなのに、あまり現実味がないような気すら感じてしまう。 特に、南半球にあるオーストラリアは、北半球の動向について、そこまでの興味がないのかな?とふと思ってしまう事もあるくらい、南と北は違うんだなと時たま思うのだ。 それにしても、オーストラリアは大型連休が終わってしまい、虚無感に包まれている人も多いんじゃないかと思ってしまう。 なにせ、イースターのような連休や国民の休日(ナショナルホリデー)が、年の前半に固まってしまっている、オーストラリアは、イースターの連休が終わると、仕事もしくは、学校の予定でいっぱいになってしまい、自暴自棄になっている人もいるのではないかと思いますが、皆さんまだまだ夏を満喫してますか?? 例えば、語学学校や大学に行くときなどは、この国民の休日も、学校はお休みになってしまう。もちろん、学校はほとんどが1日単位ではなくて、1週間単位での申し込みになるので、同じ料金になってしまうのだから、短期留学などで、2週間や3週間程度しか来れない人は、イースターなんかにぶつかった日には、2日や3日分授業がなくなってしまうのだから、かなり勿体ない感じをうけてしまうだろう。 しかし、祝日の日は、お祭り騒ぎがあったり、イベントがあったりで大賑わいなので、そのタイミングを逃すのもかなり捨てがたい。わざわざ、アンザックデーにあてて来る事はないかと思うけれども、予め事前調査は大切だと思う。 休みがなくなってしまうと、自分の時間の取り方やライフスタイルとのバランスを取るのがとても重要になってくるし、それは、いくらスローでのんびりなオーストラリアと言え、例外ではない。 きっと東京の目まぐるしい環境で生活をしていたら、ゆっくりする暇がないので、自分の時間を取ろうと努力するかもしれないけど、逆に時間がありすぎて、うまく割り振りを充てられない事もあると思う。 特に海外で一人で生活する環境になると、食事・洗濯・掃除は自分の主要タスクになってくる。 休みは、洗濯と掃除と、で追われてしまったり、ホストファミリーはいくらいい人でも、自分の時間がほしくなるのは当然のことだと思う。 そういったときに、簡単に習慣づけられ...

寄付という概念とは?

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地震から1ヶ月経とうとしているが、余震は収まる様子を見せないようで、福島・長野・千葉と連続して震度5、6レベルが襲ってきている。 忘れた頃にやってくる。と、言うが忘れるのにはちょっと早すぎるんじゃ、あーりませんか?と、思うので、まだまだ心のひもは、解いてはいけないと思う。 テレビやメディアはすでにバラエティオンパレードで、気になる原発情報などはなかなか進まないし、都知事選にかまかけて、民主党おろしがはじまったり、ついでに海老蔵復帰までしてしまうなんて、ちょっと梨園も少し反省が足りないんじゃないの?と思ってしまうが、まぁ、結構どうでもいいよ、と思っちゃったりしませんか?笑 世界中からは、義援金という形で様々なチャリティーイベントなどが行われており、日本の義援金を集める能力。イワユル寄付金を集めて管理する能力は、アメリカのTIME誌でも掲載され、ハイチの大地震やスマトラの津波などと比べてもケタ違いの復興支援義援金を集めていると注目されている。 それは、もちろん日本が先進国であり、システムがしっかりしているというのもあるが、未曾有の災害被害は、どんなに義援金をかき集めてもまだまだ復興に時間がかかるのは現状である。 もう忘れかけそうなタイガーマスクに然りだが、少しずつ寄付という概念について議論される場面も設けられてきたが、 『そもそも寄付っていうのは、なんなのだろう?』 と、池上さん風に問いかけたいこの頃だ!過去ログ 【西洋・寄付・タイガーマスク】 でも少し寄付に触れている。 寄付というのは、 英語でDonation(ドネーション )という。 地震への寄付は救済の意味の強い寄付だけれども、頑張ろうニッポンの合言葉のように、応援の気持ちを込めて寄付をする人だってたくさんいると思う。 寄付=非営利 というイメージもつくし、イワユル非営利法人やNPO団体など、商売を営利目的としていない組織も募金や寄付金を募る事により運営を支えられているところもたくさんあるはずだ。 しかし、正直なトコロ、寄付についてどれくらい勉強した事があるのだろうか?寄付は生活の一部になっているだろうか? <目次> - 寄付金を募るという事 - 非営利の事業とは? - 営利目的の事業とは? - 営利と非営利の定義 - 寄付の心とヨガ - モノの価値を考える - よぎーな豆知識 -池上さんって?- 【寄付金を募る...

無駄な便利と計画停電

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連日地震の話題ばかりで、集中してしまうので、やっぱり本題のヨガについて触れておきたいのだけれども、やっぱり地震を無視して進められないのがもどかしい。 電気の需要供給が平日と週末と祝日では異なる為週末は、計画停電を減らしたり行わなくてすむようになってきているようだ。 海外にいる人には、ちょこっとご無沙汰すぎて実は今週末が祝日であるという事を忘れてしまっている人も多いかもしれないが、本日3月21日は、春分の日なのだ。 日本の 祝日法 では、 「生命をたたえ、生物をいつくしむ事」 が春分の日の主旨となっているそうだ。 こんな状態でも、生命をつなぎとめた人、必死でつなぎとめている人達はたくさんいる。今回の出来事で命の大切さを痛感した人数は計り知れないだろう。 計画停電もさる事ながら、東京の夜は計画停電予定地区外でも、節電の自粛がされており、コンビニやファミリーレストランの証明は消えており、デパートなども午後6時に閉店したりなど、夜遅くまで眠らない街東京は、全く別の様相になっている。そして、この計画停電は4月いっぱい続くと言われている。 よくよく考えてみると、都市部であるブリスベンでさえ、夜5時、6時になれば、ほとんどの会社は終わるし、お店もしまりつつある。ブリスベンでは、週末の金曜日と土曜日以外はほとんどの店は5時から7時の間に閉まってしまうので、ちょっとした買い物はささっと、しなければならない。そして、何もやることがなくなったら、帰宅し、家で時間を過ごす。 Late Night Day と呼ばれる事がある 木曜日 は、ブリスベン市内ではなく、郊外の営業時間が夜9時くらいまでに伸び、 New Farm をはじめ、 Fortitude Valley , Indoorpilly , Chermside , Sunnybank , Southbank など郊外の町が盛り上がる。 また、ケアンズなどのリゾート地のバーやナイトクラブの木曜日の夜は、Ladies Nightとなるところが多く、そこに集まるLady達にシャンパンが配られたり、エントランスがフリーだったり、いたれりつくせりのお楽しみNightでもある。 さて、Late Nightから、Ladies Nightまで逸れてしまったけれども、こうやって考えてみると、現在の節電状況にある東京は 『いつもの明るさがなくて異様』『道...

英語と韓国とグローバル化

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2011年もはじまってみれば、すでに3月。オーストラリアは夏の終わりを迎えてくる。と、言っても、ブリスベンのあるクイーンズランド州なんかは、元々暖かいところだから、そんなイメージはないけれど、きっとはるか南のタスマニアの方では、少しずつ秋の気配がやってきているのだろう。そろそろ、りんごの収穫も少しずつ始まってもいい季節だろうし、いちごちゃんも元気に育っている、オーストラリアの秋の気配ってのも、なかなか悪くないと思いますが、皆さんまだ秋の気配には早すぎますか??笑 日本では、製薬会社最大大手のタケダ薬品が2013年度の新入社員の入から全員に最低でTOEIC730点を義務付けられる事になったようだし、楽天にはじまり英語を社内の公用語としてて、グローバル化を図る会社が増えているようだ。 正直、オーストラリアやカナダでは、TOEICって何でしょうか?というような感じで、実際に海外に出てみて、TOEICを知ってるオージーが誰もいない事で驚く人も多いと思うんだけれども、残念ながらその通りなのは否めなそうなのである。 世界で最もTOEICを受ける人種は日本人と韓国人だという。オーストラリアにいる人はもちろんの事だけど、最近は日本でも韓国の世界進出の勢いはちょっと。。“スゴイナ”と思っている人も少なくないと思う。韓国では、英語力、又はTOEICの点数がないと就職できない、就職氷河期であって、超競争社会が繰り広げられている。実際にオーストラリアで旅や留学にきている韓国人にリアルな現状と氷河期を目の当たりにしている人達とリアルな話を聞けるのも、海外で体験できる醍醐味だと思う。 お隣さんの国だけど、そんな話題はあまりないが、少し離れたオーストラリアの地などでは、韓国に限らず羽を伸ばしたヤングジェネレーションがひしめきあっている。きっと、ここまで離れれば、周囲の目も厳しくないのではないだろうか兵役の話だって聞けるはずだ。 最近インタレスティングは話しを聞いたのだが、統計によるとTOEICを受けている日本人は約170万人に対して、韓国は約200万人だと言う。 最近じゃ日本はアジア第2位に転落したと、大騒ぎしているみたいだが、元々、そんな自覚がなかったジェネレーションには今さら関係のないはなしで、かくいうわたしもアジア1位の自覚どころかオゴリもない。祖先の活躍や成長の恩恵は忘れてはいけないとこ...

海外タバコ事情

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歌舞伎役者の海老蔵さんの裁判が進み、犯人のリオン被告側の証言によるとテキーラ灰皿は、エビゾウの昔からの悪い癖だった。みたいな、話で進んでいるようなのだけれども、なんだか『ふ~ん。。』と思い、その灰皿がキレイだったのか、それとも使用済みだったのかが気になってショウガナイけど、なんか梨園のトラブルって、昔のヤクザ映画みたいですね。 灰の有無はさておいて、灰皿があって、会員制のバーの中で・・・、って、タバコを室内で吸ってるなんてアリエナイ!??と、オーストラリアに在住の皆さん!ついついそう思ってしまいませんか? もっとも、日本の常識として分かっている事なのだが、嫌煙家のわたしにとって室内でのタバコは強烈に拒否反応を感じてしまう。 わたしはファミレスに入ったら、大抵何も聞かれずに『喫煙席で良かったですよね?』と、先走って勝手に案内してくるし、百歩譲っても『禁煙席しか空いてないのですが・・・。』と申し訳なさそうにネガティブに聞かれてしまう程、タバコを吸うように見られる[見た目喫煙者代表]的扱いの人生を歩んできている。ちくいち恐縮されると、日本はタバコありきの社会なのかと思ってしまう。 結局『イヤイヤ、禁煙席が良かったんですよー!!』と喜んで案内されるが、隣が低いガラスの間仕切りを挟んで、喫煙席だったりする日には、『えー!何事!?』と眉間にしわをGYUっと寄せてしまいたくなる。 最近はそれでも、”まだ間仕切りがあるだけ、マシか・・・”、と抑えるようになってきてしまった、けど改めて思うと、 やっぱりもっとProtestというか抗議活動をするべきだと思う。 愛煙家の人にとっては本当に恐縮だけど、わたし自身はタバコを吸う人が嫌いなわけではない。結局は人に迷惑をかけなければ、何してもいいと思うし、逆にダメっていうものは、限度を過ぎて人に迷惑をかけた時点だ。 まぁ、最近は周りも気を使ってくれる人も多いし、それだけでも嬉しいのだが、やっぱりオーストラリアやカナダなどの完全なスモークフリーの国で生活していると、タバコが室内で吸える世界って、何色なのだかワカラナイのだけれども驚きの色を隠しきれない。笑 さぁ、Smoke Free(スモークフリー)って何かと言うと、スモークがフリーつまり、スモークがナイという意味で、タバコ禁止という意味である。これと同様にAlcohol Free Zone (ア...

断捨離とガレージセール

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"モッタイナイ/Mottainai" という言葉は日本独自の言葉だという話を聞いた事がある。モノを大事にしよう!っていうのは、すごく大事な事だし、もし再利用する事ができるのであれば、捨てるのではなく、誰かに使ってもらってこそ、そのモノを大事にしているというのかもしれない。 それこそ、おもちゃや家具とかを買ったばかりで、すぐに捨てたら、家具が泣いているとか机の神様やトイレの神様が怒ってしまうんではないか?とかしまいには、八百万の神様から祟りがある!!なんて、言い出しかねないのではないでしょうか?? さてさて、日本人はどれくらいモノを大切にしてるのかなぁ、と考えながら生活をしていると、オーストラリアで見かける車の年代なんてのが、結構気になってくるのだ。今にも壊れそうな車やぼこぼこの車。窓が開いている車やウインカーが壊れているのは、他の人の迷惑だから直してほしいけれども、それいつの車ですか?という車がうじゃうじゃしている。日本でそのまま走っていたら、即捕まりそうな車も多いし、誰がそんなの乗るんですか?なんていうような汚い車はたくさん。 オーストラリアの国土の広さを考えると、エンジンも酷使するから、走行距離10万kmなんて、新車じゃないのかくらいの英雄的な扱いを受けるし(笑)、20万、30万kmなんてザラだ。オーストラリアで車の購入を考えた人は、その走行距離やエンジンが気になってしょうがないと思う。 基本的に車社会なので、需要はある。日本で2足3文でも、結構値段がついてしまうのも事実だ。日本であれば、すぐにシンシャシンシャと乗り換えを推奨するし、車以外にも過剰包装や余計なモノを生産して、無駄が多いというイメージを海外の人は持っているそうだ。 この辺りの考えはすごくセンシティブなので、何が正しいのかワカラナイけれど、燃費が良く、環境に優しい車が出て、今までの車を処分する事になったら、どうだろうか?大量のスクラップやごみが発生する。しかし、燃費が悪く環境にも良くない車を多くの人たちに中古として使ってもらい、モノを長く愛用するのと、どちらが環境に優しいのだろうか?とふと思う。 まぁ、これは車の話なのだから、車に乗るなって言われちゃ、返す言葉も、『んがんぐっ』って詰まってしまう。ようするに、どっちがいいのか分からないようねぇ、という話だ。だって、そんな話をしてい...

アジア人とバラの花

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なんでもかんでも、ヨガをつければイイってものでもないだろうけれども、なんでもかんでもヨガが付けられてしまうのが、ヨガの良いところだと思うのだ。もう少し、フォローさせて頂くと、日常のどんなものにもヨガを取り込む事が出来て、ポジティブな形にする事が出来るのがヨガの最大の利点だとも思っている。 例えば、職場ヨガにしても、レゲエヨガにしても、スノーボードのストレッチや、農業とヨガ、英語とヨガ、インドトヨガ。って、コレは、元祖の黄金コンビか。笑 あまり、ヨガヨガ難しく考えなくていいと思うし、ようするに、ゆっくりと呼吸を整えて、『自分の時間を持ちましょう。』というのがヨガのひとつであると、とりあえずはまとめちゃって良いだろう。 先生によっては、日常にある全てのものがヨガだと考える先生もいるし、環境に関しての活動や社会に貢献するという事は、全てヨガだと思ってしまっても良いとわたしも思う。さてさて、こうなったらバレンタイン一色の世間に便乗して、バレンタインヨガをしてみるのはどうでしょうか?? 男子であるわたしが、バレンタインを張り切ってフィーチャーするのに、少し違和感を感じるかもしれないが、バレンタインはわたしの好きな日で大事なイベントのひとつである。 オーストラリアやカナダにいる人たちは、ひしひしと感じているかもしれないが、町中は赤かピンクで広がって、ハートだらけのはずである。今年、はじめてSt Valentine's Dayを英語圏で迎える人たちは、日本との違いに少し驚きを感じているはず。と、言うのも欧米のバレンタインデーは基本的に、男子から女子へ、素敵なメモリアルを祝う日である。というのが一般的だと思う。しかし海外には、『男子⇒女子』『女子⇒男子』という規定は日本ほど決まってなく、恋人達の日と解釈するのが分かってもらいやすいと思う。 バレンタインは14日だけれども、今年は週末が少し手前なので、さしずめ今週末がバレンタインウィークエンドになる。 日本では、クリスマスが"恋人達の聖なる夜"というのがオナジミで、お正月が家族で過ごす日だ。 しかし、欧米文化では、このクリスマスが家族で過ごす大事な日。それでは、"恋人達の聖なる夜"はいつ?という質問には、間違いなくこのバレンタインデーなのだ。このバレンタインウィークのレストランの予約は1...

西洋・寄付・タイガーマスク

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現在のところ、甚大な被害が出た様子はないサイクロンヤシだが、水害が終わった訳ではない、満潮も近づいてくるので、まだまだ、油断せずに皆さん十分に注意して下さいね。 タイガーマスクなんて言われても、外国にいたら、さっぱり入ってこない情報だし、なんの事やら訳がわからない人も多いと思うけど、日本ではタイガーマスク現象なるものが発生しているようだ。 これが連日、日本のマスメディアでとりあげられ寄付というものが、なんなのか?『寄付』について、そもそも論が談義されている事は少しウレシイ兆候だ。 寄付の話を深めていくと、もともと寄付文化は西洋文化であり、日本にはなかなか根付きにくいもの、と日本のマスメディアに紹介されていると同時に、若者達の寄付をテーマとした活動は活発かしているとも言われている今日この頃だけど、タイガーマスクで伊達直人ってピンってくる時代から『寄付運動の人』に代わる世代が来る日も間近じゃないでしょうか?? さて、 タイガーマスク運動 をざっくばらんに話すと、タイガーマスクのマスクを名乗る何者かが寄付行為を行う、という突如発生した活動で、それを習って多くの人が同じように寄付をはじめた。これは、匿名でモノを送り続けるということで、善意の輪が広がったといって、大きく話題になったが、これは一過性のものだと考えられていたらしい。しかし、その善意の輪が広がり、寄付の量は続き、増えていく。そして厚生労働省まで突き動かし、児童擁護施設への予算をあげ、人員増員をはかるそうだ。 厚生労働省の言い分では、タイガーマスク運動が始まる前から、増員を検討していたので、タイガーマスク運動が原因ではないということを主張しているけど、【ザ・余計な一言】だった(笑)。 そんな事、言わなければいいものの、わざわざ言うから嫌われ者になるんだろう。世論は国を動かせないぞ。とでも言いたいのだろうか?ワケガワカラナイ。 ともあれ、この寄付が寄付に慣れていない、日本人達にとって、突如として寄付が何か?と考えさせられる事になった。 日本人にとって、この運動の良いところは、匿名でモノを寄付できるというところだったようで、タイガーマスク運動いわゆる[匿名による寄付金活動]というものが、ジャパンの善意の人たちのハートをつかんだようだ。 しかし、寄付を受け取る事に慣れていない、ジャパニーズとしては、顔を見せてほしいとか、安...

脱『ノットジェントルメン』

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毎日ヨガを続ける事は決して簡単ではないけれども、やっぱりクラスにいってみんなと一緒にそして、インストラクターの先生のガイドに沿って、ヨガをするのは集中力が全然違う! と、いうよりもやっぱりセルフプラクティス(自分で練習)になると、やはり無意識で自分が楽をしていたり、呼吸のカウントが速くなっていたりするのだろう。まだまだよぎーへの道のりは長いなぁ、と思う今日この頃だけれども、そんなに無理をする事はなく、自分のペースでしっかりと続ける事、そして嫌になってしまわないように、楽しくやる事が大事だと思う。これは、ヨガだけではなく、英語の勉強だって、極端な話、男女の関係だってあまり自分をかっこよくとかキレイに見せようとし続けると疲れてしまうので、リラックスして楽しくしている姿が一番美しいと思うのだけれども、みなさん、とりあえず、読む前にゆっくり鼻から息を吸って(inhale)吐いて(exhale)、リラックスしてみてはいかがですか? 初めて、ヨガをやる時には色んなヨガがありすぎて、なんだかワケが分からなくなってしまう事が多いと思う。ハタヨガだ、ホットヨガだ、アヌサラヨガだか、アシュタンガ!ビンヤサに、陰ヨガだとか。人によってそれぞれだけれども、イキナリ、激しいヨガクラスに行ってしまうとびっくりすると思う。 例えば、わたしがはまっている アシュタンガヨガ は、ポーズとポーズが流れるように広がるアシュタンガヨガというものだ。 ビンヤサと呼ばれる、太陽礼拝ポーズの流れから始まり、呼吸とポーズを少しずつリンクさせていき、ポーズの流れが基本的に決まっているので、だんだん覚えてしまったら、一人で練習できるようになるので、うちヨガにもオススメなのだ。最初から全てのルーティーンを覚える必要はなく、少しずつ増やしていっていいし、時間がなければ太陽礼拝/ビンヤサだけで終わらせてしまってもいいので、気楽にできる。 しかしながら、このアシュタンガのナイスな所は全てのルーティーンをフルにやると、かなりの運動量になるので、汗がハジケルように飛んで、ポーズとポーズに汗スプラッシュ!という、爽やか(笑)な体験が出来る。デトックスと言えばわかりやすいのだろうか?体の毒素が抜けて、べたべたな汗がサラサラの水っぽい汗に変わっていくのはとても気持ちいい。 太陽礼拝のポーズは、通称スーリヤナマスカラと呼ばれ、色々なヨガ...

環境が違う

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国によって異なる天気だけれども、例えば北米・カナダのバンクーバーは今、雨季にあたる。いゆる、レイニングシーズンというやつだ。こいつが、なんとも厄介なやつで、冬の時期、大体10月から3月頃までしとしと、とにかく雨が降る。中心地のダウンタウンは西海岸の影響もあり、滅多に雪は降らいのだが、この降り続く雨は、ローカルの山々、そしてご存知、北米最大級スキーリゾートのウィスラー・ブラッコムでは雪となり、降り積もる。 スノーボーダーであるわたしにとっては、雪の事を考えるだけでわくわくしてしまって、雨なんかさっぱり気にならなくなってしまうが、本当に数週間ぶりに太陽が顔を出して、陽を照らしてくれるのは気持ちいい。 ありがたい事に、日本の梅雨のようにじめじめと蒸し暑くないけれども、バンクーバーでは約5ヶ月程これが続くのだから、これは結構まいってくる人も多いと思うけれども、逆にこの時期が外で遊ぶ事ができない、最高の勉強の時期だと密かに思っているのですが、みなさん、生活環境について考えた事ってありますか?笑 『気候』というのは、自分を取り囲む重要な生活環境だけれども、他にもその街や国の『人間性』や『性格』、『名産物』や『スポーツ』、数え上げたらキリがないけれども、その中でも『気候』というものは、人間の人格を作り上げていく為にも大きな影響があるとも言われている。 他にも例えば、周囲の人間の影響など。学校に行くと、お金を払って勉強をしており、ひとつの目的を達成する為に一生懸命な人達が多い。そして、そういった中に入り込めば、自分自信のやる気アップにもつながるし。日ごろ、ストイックに物事に取り組んでいる人も多い。 ヨガや他のスポーツでも、カナダの人たちは真剣に物事に取り組む人が多い印象を受ける。よく、〈I push myself harder〉という言葉を良く耳にする。もっと、自分に厳しく、自分を押して、努力するという意味で使う。気候環境が性格を変えるという意味では、トロピカル気分のビーチなオーストラリア人と比べても比較的カナディアンはこういう傾向の印象がある。 そういう意味では、自分に厳しくいたい人が住む環境として、こういったストイックな人達が住んでいる環境は自分をさらに上に押し上げてくれる環境だとも言えると思う。 他にも、 【住居環境】 カナダではセントラルヒーティングというシステムがあり、家...

何か勘違いしていること

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インターネットってものが普及して、『世の中のバランスが崩れはじめている。』と断言できるようになったのは、今に始まった事ではない。 ネットサーフィンというものは楽しく、場合によっては、その世界から抜け出せなくなってしまう人達もいるし、それは日本だけではなく、世界中に溢れかえっている。 例えば、インターネットとは、何か?と一言で表せ、と言われたら、みんなは何て答えるのだろうか? この質問には答えなんかないと思う。ただ、定義として表せとか、キレイ事を言えと言われたら、様々な答えが出てくると思うけど、実際みんなが思っている事は【タダで情報が手に入るツール】としか考えていない人は多いと思う。まぁ、プロバイダー料金がどうとか、電気代がどうこうとか言ったりして、あげあしを取る事はいくらでも出来るけど、今の段階でそこはポイントではない事は理解して欲しい。 こんな事をわたしが言える義理はないのだが、日本人のみんななら、【タダほど怖いものはない】という言葉も聴いた事があると思う。これは、どういう意味だろう?辿っていくと、ようするに、『おいしい話(タダ話)には裏がある。』という事ではないのだろうか? なんで、こんな事を急に言い出したかというと、日本にはインターネットの重大性を示すものが少し曖昧すぎるのではないかと感じる事があるからだ。 例えば、インターネットのデメリットはひとつを検索すると膨大な情報があふれ出てきて、何がなんだか分からなくなってしまう事。また、本当に必要な情報以外が出てきてしまったり、まったく関係ない事やその情報がある特定の条件を満たした人にしか当てはまらない事もある。 ここまでは、わかっている人は多いかもしれないけど、この次に働きかけるものとしては、人間というものは、自分自身が不利になる事や良くないものは、無意識のうちに排除して、自分にとって都合の良い情報だけを吸い込むという事をしてしまう生き物であるというあるという事だ。 いくら調べものをしても出て来ない。そこで、誰かのクチコミを発見する事になる。そこには具体的な年代や条件が記されていないが、なにやら良さそうな事が書いてあるので、それを信用する事になる。具体例を出すとバックパッカーズホテルなんて、予約しなくたって、部屋が空きまくってるから行ってからでも大丈夫だよ!なんてのもひとつの簡単な例だ。 わたしは、この意見に反対...